長沼とは

 江戸時代、長沼新田と呼ばれた地域はいま、千葉市稲毛区長沼町の一部となり、大型商業施設や娯楽施設、物流施設の建設が進んでいる。これに伴い、戸建て住宅の新築が相次ぎ、稲毛区北部の新興住宅地として、大きく変貌してきている。

 長沼は、こうした新しい顔とともに、300年以上前から重ねられてきた記憶が色濃く残る、歴史と民俗の地という顔も持ち合わせている。

長沼新田は、徳川家康の命で鷹狩りのために三日三晩で普請したといわれる東金御成街道沿いに、江戸の町民によって、開拓された。

 「長沼」の地名は、村の西側にある御瀧神社の滝を水源とする長く伸びた沼があったことから、呼ばれるようになった。沼は、昭和50年頃に埋め立てられ、住宅団地やグランドなどに姿を変えている。

 だが、御成街道沿いには、いまでも農家が並び、その背後に農地が広がる当時の景観が残っている。昔からの村の中心部、本村と呼ばれる地域は、駒形大仏が鎮座する観音堂、それに奥之院(元観音堂)、産土様の三社大神という3つの聖地によって、囲まれ、古くからそこに住む人びとの間には、いまなお江戸時代からの信仰が息づき、独自の祭礼が大切に守られている。 

 こうした民俗と、路傍にたたずむ道祖神庚申塔、子安様などの石塔それに出羽三山詣りの碑などを重ね合わせることで、江戸時代から「長沼」に生活してきた人々の姿がいまに甦って来る。

長沼池は埋め立てられ、いまは住宅団地やグラウンド。その広さに昔日の面影が残る
長沼池は埋め立てられ、いまは住宅団地やグラウンド。その広さに昔日の面影が残る