コメント欄(名前はハンドルネームでも結構です)

コメント: 6
  • #6

    さざん (土曜日, 01 1月 2022 21:15)

    2022年1月1日、快晴ながら冷たい風が吹くなか、初詣として奥之院、観音堂、三社大神といった「聖地のトライアングル」を回ってきました。三つの聖地にうち、初詣する人の数はやはり奥之院が一番多く、前の人と距離を保ちながら、お参りを待つ人が目立ちました。毎年のことながら、奥之院の社の角々や石碑にお米が撒かれているのをみると、お賽銭の原型が散米だという解釈に納得してしまいます。ここでは、コロナ禍から早く脱し、普通のお詣りができるようお祈りしました。初詣の奥之院人気はどこにあるのでしょうか。三社大神や観音堂が長沼の旧住民の人たちの「祈りの場」となっているのに対して、奥之院は、近隣の「馬持ち」のほか、「身代わり観音」として女性たちの信仰をひろく集めるなど「現世利益」のカミサマだからではないでしょうか。

  • #5

    さざん (木曜日, 18 11月 2021)

    11月18日、奥之院の月次祭が再開されました。ほぼ一年ぶりとなるそうで、のぼりが立つ境内は、晴れやかな雰囲気が漂っていました。お接待役の人によると、午前中だけで15名前後の参拝者が来られたそうです。茶・菓子のお接待と、以前に比べ簡素になりましたが、なによりも再開にほっとしています。

  • #4

    さざん (日曜日, 16 5月 2021 07:45)

    長沼に3つあった子安講のうち、最後まで残っていた子安講が2016年4月に解散しました。ここで唱われていた「延生地蔵和讃」はもう唱和されることもなく、唱える人が少なくなりました。長沼の人々の記憶からも、子安講の存在が薄れつつあります。このため、この「和讃」を唱ってもらい、残すことにしました。「企画:長沼の子安講と和讃」に、その音源が入っています。お聴きください。根本寺の「地蔵菩薩の掛け軸」を前に、15人前後の主婦が声を合わせて唱っている姿を思い描くと、いまとは別の世界が見えてきませんか。

  • #3

    さざん (日曜日, 18 4月 2021 19:32)

    長沼の産土様である三社大神には、「牛頭天王 大正三年 願主 高橋○○○」と刻まれた石がひっそり置かれています。「牛頭天王」は、京都の八坂神社の祭神。八坂神社の祭り、毎年7月の祇園祭は、平安時代に京の町で流行った疫病を牛頭天王の力で鎮めてもらおうと行われた御霊会がその始まりといわれます。大正3年に東日本で発疹チフスが大流行したとの記録があります。長沼の人たちも疫病退治の神である「牛頭天王」に目に見えぬ「脅威」チフスの鎮静を懸命に祈ったのでしょう。新型コロナ禍の我々の姿と重なります。

  • #2

    さざん (日曜日, 18 4月 2021 11:36)

    毎月18日に行われる奥之院の縁日は、コロナ禍で中止となって久しいですが、祀られている馬頭観音も寂しい思いをしているでしょう。毎年2月21日の「オビシャ」も、今年は規模を縮小し、役員だけで行われました。各地の祭りが中止や、規模縮小となっているとの報に接し、これがニューノーマルとなるのではないかと思料しています。「民俗」は、その時代を生きている人たちを映し出すので、変化があるのは当然です。でも、コロナによって、各地の「民俗」がどこへ向かうのか気になりませんか。

  • #1

    さざん (金曜日, 05 3月 2021 14:20)

    3月5日、まちスポ稲毛による「長沼歴史さんぽ」のガイドで長沼の三社大神、奥之院、観音堂を巡ってきました。風もなく、暖かく2時間強かけて、ゆっくり歩いてきました。地元だけでなく、犢橋からの参加者もいて、長沼郷土歴史クラブの三角会長の話しに熱心に耳を傾けていました。とくに、江戸時代から続く民俗がいまだいきづいていることに驚いていました。